小学2年くらいのころだったか。
父親に言われたことがある。
『子供のころ、先生からマラソンのときの呼吸は吸う、吸う、吐く、吐くにしなさいと言われたが、普通に吸う、吐くにしたほうが楽だった。先生が言うことが絶対正しいということはない。』

今思えば私の地元小中学校はいわゆる同和教育や差別問題に関する道徳の時間が多かった気がする。
そのときの道徳の教育の中でこういうのがあった。
『チマチョゴリ(朝鮮の民族衣装)を着た女性がナイフで衣装を切られた。チマチョゴリは日本のセーラー服の起源ともなったすばらしい衣装なのにどうしてそういうことをするのか?』

一方、今日の夕方ラジオ番組で日本のセーラー服の起源は?という話をしていた。まぁほとんどの人からすれば当然のことなのかも知れないが、起源は水兵の衣装。
詳しく書くと、福岡の女学校の校長に着任したアメリカ人が、スポーツ(バスケットボール等)を教えたいが、和服では裾がはだけて困る。そこで水兵が着ていた衣装を導入したところ瞬く間に広がった。

恥ずかしながら、セーラー服の起源について私は間違っていました。

セーラーというぐらいだから『おかしいな』ぐらいには思っていましたが、疑問を持ったことには真実を調べるクセを持ち続けないとダメですね。

こういう文章を教科書に載せ、それを教える教育って怖いな、と思った。
…と思い返せば、今更ながら疑問符が付く行事もたくさんあったなぁ…。

安倍総理の教育改革で改善されたらいいな。でも、改革のベクトルが違うかも。

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